知財管理技能検定1級ブランド専門業務試験合格への道かな?

知財管理技能検定1級ブランド専門業務試験に向けて諸々のこと、その他書籍やニュースなどの知財、その他の法律等に関して、思いついたら書きます

JASRACと著作権管理の「信託」契約を結んだ権利者本人が、自分の作品を利用する場合には、その本人もJASRACに著作権料を支払わないといけません、という話 その1 (補足あり)

(※補足はその2で一番最後に書きます)

 

 

JASRAC著作権管理の「信託」契約を結んだ権利者本人が、自分の作品を利用する場合には、その本人もJASRAC著作権料を支払わないといけません。

 

このことを理解していない人、実はけっこういらっしゃるのではないか、と思います。そもそも、大勢の人は、JASRACとミュージシャン等権利者との契約が「信託」契約であることすら、知らないのではないでしょうか。

 

「信託」とは、権利者が他人に自己の「財産権の移転や譲渡」を行い、その他人に財産の管理・処分を任すこと、をいいます。ただし、その他人は「一定の目的を達成するため、それに従って」、その権利者の財産の管理・処分をしなければなりませんコトバンク等を参照)。より詳しいことは、検索などなさって調べてみてください。

 

JASRACでの「信託」契約の場合でいえば、まず権利者(作詞者、作曲者、ミュージシャン等)は著作権管理をお願いするために、JASRAC著作権「移転」します。これが、「信託」の説明のところで書きました、「権利者が他人に自己の『財産権の移転や譲渡』を行い」の部分です。

そして、権利者から著作権「移転」されたJASRACは、権利者に代わって権利者のために著作権料を「徴収」することができます。そしてその著作権料は「信託」契約に従って権利者に「分配」される、という流れになります。これが、「信託」の説明のところで書きました、「『一定の目的を達成するため、それに従って』、その権利者の財産の管理・処分をしなければなりません」の部分です。

(ちなみに、JASRACは、「移転」された著作権部分に関しては、その著作権者である以上当然権利行使ができます。逆に、本来の権利者は、JASRACに権利を「移転」している以上、「移転」された著作権部分に関しては、「信託」の期間中は、権利がない以上自ら権利行使をすることはできません。)

 

著作権JASRAC「移転」されるのですから、例えばアーティストが自身の作品をコンサートライブで演奏する場合などは、そのアーティスト自身も、その作品の利用のために、当然JASRACに利用申請をして著作権料を支払わなければなりません。

そのアーティストがJASRAC著作権管理の「信託」契約をしていないならば、当然JASRAC著作権料を支払う必要はありません。もっとも、アーティスト本人自身はしていなくても、レコード会社など他に権利を持つものがJASRAC「信託」契約をしているかもしれません。その場合は、その関係性に応じた分について、アーティストはJASRACに利用申請をして著作権料を支払わなければならないでしょう。私もこのあたりは詳しくないので、いずれJASRACに確認しようと考えています。

 

 

さて、自分の作品なのに、自分で勝手に使えないの?と疑問に思う方は少なくないと思います。

しかし、「信託」による著作権管理とはそういうものなのです。「信託」契約により著作権JASRAC「移転」、その結果、JASRAC著作権者になるのですから、至極当然のことなのです。だからこそ、JASRACは、権利者に代わって、著作権料の「徴収」をすることができるのです。また、著作権侵害行為に対する権利行使も本来の権利者の代わりにできるのです。こうだからこそ、権利者とJASRACとは、著作権管理の「信託」契約をしているともいえます。

そして、その著作権「信託」の結果、権利者は自分の作品を自身で利用する(ライブでの演奏など)場合でも、JASRACへその利用許諾を申請し著作権料を支払わないといけないのです。

 

これがJASRACへの著作権管理の信託」というものなのです。

 

 

JASRACとの著作権管理の「信託」契約についてのさらに詳しい内容に関しては、JASRAC著作権信託契約約款」を御参照ください。

ちなみに、この約款の第3条第1項には、はっきり「移転」と明記されてます。

http://www.jasrac.or.jp/profile/covenant/pdf/1.pdf

 

また、JASRAC著作権管理の「信託」契約をした権利者も著作権料をJASRACに支払わなければいけないことは、JASRACののホームページの、「著作権信託契約と入会Q&A」というページの、Q7に書かれています。御参照ください。
著作権信託契約と入会Q&A JASRAC

 

 

なお、著作権管理団体によっては、「信託」の形態ではなく著作権管理をするところもあります。NexTone(eライセンスにJRCが加わり、このような名前になりました。)はそのようです。

 

 

(その2に続きます)

(※補足はその2で一番最後に書きます)

初めてのクラウドファンディング出資

これまで夏休みということで、しばらくの間休んでましたこのブログ、再開いたします。

また宜しくお願いいたします。

 

 

 

さて、ブログ再開第1回目は、私の初のクラウドファンディング出資の話などを1つ。

 

ミュージシャンのファンキー末吉さんは、これまでJASRACに対し裁判で闘ってきましたしかし、残念なことに先月の7月12日、JASRACの主張が裁判で認められたようで、ファンキー末吉さんの最高裁への上告が、却下という形でその結末を迎えたそうです。ファンキー末吉さんとその支持の方々にとってはとっても残念な結果となりました。私もこの結果には、いささか失望しています。

 

 

しかし、これで終わりにしてなるものかと、ファンキー末吉さんは、これまでの裁判の闘いについての書籍を執筆、出版することを思いたたれました

9月までクラウドファンディングでの出資者を募集、目標額が達成したら、年末に出版する予定、だそうです。

 

 

私は、ファンキー末吉さん側には、裁判において多少難しい面があるとは思っていました。しかし、ファンキー末吉さんの主張には共感する部分があり、今回の裁判におけるファンキー末吉さんについてもっともっと知りたいと思ってきました。

 

 

そういうことで、私は、ファンキー末吉さんの書籍の件に対して、初クラウドファンディング出資をした、という次第なのです。

 

おそらくこの書籍は、当然ファンキー末吉さん側からの視点にかたよるでしょう。しかし、それでもこの書籍でこの裁判の顛末をしっかり知っておきたいと私は思いました。

 

また、この書籍がいずれ将来にされるかもしれないJASRACの改革につながってくれるなら(私はJASRACの存在は否定しませんが、今のままでいいとも思っていません。いい方向へ変わって欲しいと思っています。)、そして私のクラウドファンディングへの出資がその一助になるなら、とも考えたのです。

 

あわせて、この書籍が出版されることが、世間での著作権法制度の理解とその啓蒙の助けにも繋がってくれれば、とも考えています。

あらためて《音楽教育を守る会 vs JASRAC》 第7回 世間一般にも、JASRACにも、文部科学省(文化庁)にも問題がある

実は、今回の音楽教室の一件で、私が痛切に感じたことに、「多くの一般の人達が著作権法制度をちゃんと正しく理解していない。」ということがあります。

 

例えば、今回聞いた意見の一つにこういうのがありました。

「すでにレッスンで使用する楽譜について著作権料を支払っているのだから、教室のレッスン自体から著作権料を徴収するのは、著作権料の二重の徴収となり、おかしいのではないか?」

です。

 

これは、著作権法制度を全く理解していない、あきらかに間違った考えです。

 

楽譜における著作権、そして音楽教室のレッスンにおける著作権、どちらも著作権ですが、それぞれ異なる権利で、別々に存在します。前者の権利は著作権の中の「複製権」について、後者の権利は、今回の裁判で争うことになる、著作権の中の「演奏権」について、です。著作権法において、別々の条文で別々の権利として規定されています。

別々の権利である以上、当然にそれぞれ別々に著作権料が発生します。著作権法制度には、このようにいろいろな権利が存在しています。ですので、著作権「権利の束」と表現されたりします。著作権法制度とはそういうものなのです。

 

もしかしたら、これらの権利が別々に存在すること自体が間違っている、ということなのでしょうか。しかし、それは「そもそも著作権法制度自体が間違っている」と言っているのと同じです。現在の著作権法制度を、根本から否定していることになります。

では、著作権法の改正を求めますか?それもいいでしょう。しかし、現行著作権法が今の内容である今現在、現時点では、それに従わないといけません。それが法というものです。現行著作権法制度を無視するなど論外です。

 

著作権法制度の理解のなさにもほどがあると、私は思います。それが、一般の個々人のレベルなら、著作権法制度の啓蒙ができていない現在、まだ仕方がない側面もあるでしょう(それでも法は法ですが)。しかし、これが個人を超えて、一企業、一組織となるなら、話は別です。まして、著作権と関係する仕事で飯を食っているのであるなら、なおさらです。私は、これまで「音楽教育を守る会」を批判してきました。それは、「音楽教育を守る会」が、著作権法制度を正しく理解していないとしか思えない主張をしているからです。著作権法制度をふまえずに身勝手な主張をしているとしか思えないからです。

 


しかし、はっきり言えば、私は、文部科学省文化庁)やJASRAC側にも、落ち度はあると思います。


まずJASRAC

例えば、金の流れについて、あまりにも説明が足りないのではないでしょうか?不透明なのではないでしょうか?

これまでいろいろ書いてきたとおり、私は、音楽教室著作権料を支払うべきものである、と考えています。しかし、その著作権料の徴収に対しては、JASRACは絶対に適切な運用をしなければならない、と考えます。
JASRACの会員については、それなりに情報開示及び説明をしているようですし、またホームページにて、それなりの情報開示及び説明はしています。でもこれで本当に理解されるかどうかは疑問です。著作権料の徴収と分配という形で、金を集めまた振り分けて取り扱っている組織なのですから、さらなる情報開示及び説明につとめ、また自分達を理解してもらうようにより一層の説明をしていく努力をさらにしなければならない、と私は考えます。その上で著作権料の徴収と分配をしていかないと、ただいたずらにJASRACへの反感を招くだけだと思います。

制度運用の問題なのです。果たして、現在のJASRACが本当に適切なものなのか、再度見直すべきと、私は考えます。例えば音楽教室なら、著作権料はどのくらいが適切なのかをしっかり考え決定し、適切な額の著作権料を適切に徴収し、そして適切に権利者に分配する、そしてその収支の流れはきっちりと世間に向け包み隠さずわかりやすく報告する、これらが正しくできるかどうかが本当に大事ではないでしょうか?
JASRACは、現在ブラックボックスとはいわないまでもグレーボックス状態だと思います。その状態を抜けでて、もっとオープンになってほしいと思います。

これができないのであれば、音楽著作権管理団体が存在する必要、JASRACが存在する必要は全くありません。解散すべきです。

 

ちなみに、もし私が「音楽教室を守る会」側なら、裁判においては、法律解釈ではJASRACに構いませんので、その法律解釈を踏まえた上での、著作権法制度でのJASRACの問題点や矛盾点(例えば、著作権料の徴収分配をきっちりオープンにしていない点など)をせめます。簡単に言えば、「実際において、JASRACは自分で言っていることを、ちゃんとできていないだろ。」ということです。

 

 

そして、文部科学省文化庁)。日本での著作権法制度に対する無知無理解、その責任の一端、その落ち度は文部科学省文化庁)あると思います。文部科学省文化庁)が怠慢だから、今回のようなことがおきたのだと、今回のようなことは必然的に起こりえることだったと、私は思います。
文部科学省文化庁)が、昔から日本国民に対して著作権法制度についての啓蒙をちゃんと行っていて、結果国民の間での著作権に対する正しい理解が高くあるのならば、今回の件はもっと簡単に事がおさまったと思います。おそらく、無知無理解は完全にはなくならないでしょうけど、現状よりははるかにマトモになるかと思います。

今回裁判で争わざるを得なくなった背景の1つに、世間の著作権法制度への無知無理解があるのは間違いないと思います。そして、それをつくりだした文部科学省文化庁)にも責任があり、無知無理解の原因の一つには「文部科学省文化庁)の怠慢」があると、私は考えます。

 

著作権法制度をつかさどる行政側官庁として、文部科学省文化庁)は、日本社会、日本国民に対して、著作権法制度をもっと周知徹底する義務、啓蒙する義務があるのではないでしょうか?

 

法制度の啓蒙は、特に著作権法制度に限った話ではありません。他にも啓蒙するべき法制度はたくさんありますが、著作権法制度についてはあまりに世間での理解が足りなすぎます。そして、それを知ってか知らずか、そのままにしている文部科学省文化庁)には、現在のひどい状況を招いたその責任の一旦がある、のではないでしょうか?
今からでも遅くはありませんので、文部科学省文化庁)は日本国民に対して著作権法制度の周知徹底をはかるべきだと思います。

 

 

 

夏休みということで、しばらくの間はブログをアップしません。8月中旬〜下旬くらいからまた書き始めると思います。もしかしたら気まぐれで書くかもしれませんが、それはイレギュラーです。

あらためて《音楽教育を守る会 vs JASRAC》 第6回 音楽教室というビジネスから見た、侵害主体論

第5回その1で、主体という言葉こそ使っていませんが、主体について軽く触れたつもりでいます。ただ、おそらくわからないと思いますので、今回は、この「主体」、具体的には「侵害主体」について、もっと突っ込んで考えてみたいと思います。

 

まあ結局、音楽教室における生徒(講師も含まれるかもしれませんが、とりあえずこれについては考えません。講師については最後に簡単に書きます。)の演奏行為が、著作権法第22条を侵害するかどうか、の話をまたするわけです。

 

 

仮に、音楽教室ではなく、自宅で個人が演奏の練習しているだけの場合は、この行為は著作権法第22条を侵害しません。当たり前ですよね。(もし侵害するのだとしても、著作権法第30条第1項が適用され、結果侵害をとがめられることはないと考えられます。)

そして、音楽教室の場合も、そのレッスンは練習行為と同じように考えられるのでしょうか、著作権法第22条の侵害にはならない、と考える方もいらっしゃいます。はたしてそうでしょうか?

 

個人で練習しようが、生徒として音楽教室でレッスンを受けようが、楽器を演奏できる(歌う場合は上手に歌える)ようになりたい、ということではどちらも同じです。

しかし、音楽教室の場合は、個人の練習の場合と異なる点があります。

ビジネスとして経営されている一音楽教室(何度も書きますがけっして学校ではありません)にて、講師が演奏技術を教えている、という点です。

つまり、音楽教室は、レッスンを受ける生徒に対してその講師が演奏を教えることにより利益を得る、というビジネスを行なっているのです。

そして、音楽教室である以上、そこで生徒が演奏を行うことは当然、必然不可欠です。そのことを音楽教室は求めているのですから。そうでなければ音楽教室とはいえないでしょう。

また、音楽教室は生徒に演奏を教えているのですから、音楽教室には生徒に対する管理・支配性があるといえます。

以上のことから、実際の演奏をしている主体は生徒でも、著作権法第22条の侵害主体は音楽教室となるのです。

 

これは、「カラオケ法理」(※)と「ジュークボックス法理」(※)について考えれば、至極当然のことです。

 

 

最後に、講師について考えてみます。

講師は、自ら音楽教室を経営する場合を除き、音楽教室と契約をして、講師をしているのであり、その意味では、音楽教室とは別主体と考えられます。

また、生徒からみるならば、講師は音楽教室側と一緒と見做されて仕方がありません。

前者の場合は、音楽教室の生徒の場合と、同様に考えればいい話です。

後者の場合は、音楽教室側と一緒と見做されるのですから、まさに音楽教室が侵害主体となるということです。

どちらにおいても、音楽教室が侵害主体とされることには変わりがありません。

 

 

 

 

(※)「カラオケ法理」「ジュークボックス法理」について

 

私が理解している範囲で、説明してみます。もし、間違っていたりわかりにくかったら、その旨御指摘お願いいたします。

 

①「カラオケ法理」
著作物の利用主体の拡張法理です。

形式的にはカラオケで著作物たる歌を歌っている人が実際の侵害行為主体といえますが、営利目的でカラオケ機器を設置し客にカラオケを歌わせている店こそを著作権侵害の主体とする、という考え方です。

「管理・支配性」と「営業上の利益の有無」がポイントです。

今回の音楽教室においては、音楽教室が生徒を管理・支配しているといえ、また営利目的ですから、カラオケ法理が当てはまると、私は考えます。
クラブキャッツアイ事件裁判判例を御参考ください。

 

②「ジュークボックス法理」
これも、利用主体拡張法理の1つ、といいますか、カラオケ法理の補足理論のように私には思えます。

ジュークボックスにおいて、実際の侵害行為主体は、ジュークボックスに金を入れ操作をし曲を再生させた客、といえます。

しかし、店はジュークボックスを設置しています。このジュークボックスの設置は、店による「枢要の行為」です。店にジュークボックスが設置されている、だから、客はジュークボックスを利用することができ、侵害行為に及ぶことができたわけです。この「枢要の行為」を行なった店を著作権侵害の主体とするのがこの考え方です。

①でいえば、カラオケ機器を設置したという店の行為は「枢要の行為」といえるので、やはり店が侵害行為主体といえます。音楽教室の場合は、音楽教室が存在することこそがまさに「枢要の行為」です。だからこそ、生徒は音楽教室で演奏行為をすることができまたそうしているにすぎないのです。
ラクロクⅡ事件裁判や、まねきTV事件裁判の判例を御参考ください。

 

今回の音楽教室には当てはめるのは難しいですが、利用主体拡張の考え方として、参考までに「手足論」についても書いておきます。

③「手足論」
主に「書籍の自炊」において考えられている論らしいです。「書籍の自炊」を例にして説明します。形式的には確かに自炊業者が実際に物理的に複製という著作権侵害行為を行なっていますが、それはあくまで依頼主の手足としてしたにすぎません。業者に自炊行為を依頼した人がその業者に対して管理・支配していたと言えるならば(金で依頼するのも管理・支配といえるようです。)、業者に自炊行為を依頼したその人こそが著作権侵害の実質的な主体である、とする考え方が「手足論」です。

なお、「手足論」は、本来、行為を実際にしていない本人自身を侵害の主体とし、第三者はその手足として実際に行為をしたにすぎない、そのことを説明する場合のことをいうらしいです。反対に、本人自身は侵害の主体でなく行為をしただけの手足にすぎないのであり、本人に行為を依頼した第三者こそが侵害の主体であると説明する場合を「逆手足論」というらしいです。

 

 

あらためて《音楽教育を守る会 vs JASRAC》 第5回 著作権法第22条について その2

(その1の続きです。)

 

 

今回、その2は「公衆」について書きますが、その前にもう一度著作権法第22条を書きます。

 

著作権法第22条】
著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。

 

 

さて「公衆」ですが、実は著作権法上では、直接的かつ具体的、明確には定義はなされていません

 

しかし、著作権法第2条第5項に、このようなことが書かれています。

 

著作権法第2条第5項】

この法律にいう「公衆」には、特定かつ多数の者を含むものとする。

 

通常、「公衆」とは「不特定」の者が該当するとされています。多数の場合でも少数の場合でも、「不特定」ならば「公衆」されています。そして、著作権法第2条第5項により、「公衆」には「特定多数」も含まれるとされるようになりました。つまり、「特定少数」以外の「不特定多数」「不特定少数」「特定多数」が「公衆」に該当する、とされています。

なお、著作権法上では、具体的な数値(例えば10人以上とか100人以上とか)で定義されてはいません。よって少数か多数かはケースにより判断されると言えます。

 

 

では、音楽教室の場合はどうなのでしょうか?一見「特定少数」のように思えますが、私はそうならないと思います。むしろ「不特定多数」だと思います。

例えば、今はほとんど見当たらなくなりました公衆電話。実際に公衆電話を利用できるのは、当然ですが1台につき「1度に1人だけ」です。しかし、「誰もが」公衆電話を利用できます。だから、「公衆」電話なのです。「誰もが」なのですから、対象は、「不特定」でありそして「多数」なのです。

音楽教室も同様に考えることができます。音楽教室では、講師1人に生徒1人(グループレッスンなら生徒は数名?)です。これは一見「特定少数」のようです。しかし、最初に生徒はどのレッスンで教わるかの選択ができます(つまり、レッスンの選択や講師の選択ができるわけです。最悪レッスンを受けないという選択さえできます。選択の余地が全くないわけではけっしてありません。)。また、音楽教室は、世間に広く門戸が開かれています。つまり対象は「誰でも」で、やはり「不特定」であり「多数」です。

 

故に、音楽教室は、「不特定多数」、つまり「公衆」を対象にしているのだと、私は考えます。

 

ちなみに、これと同様の考えが、過去のダンス教室の裁判でなされています。

 

そして、前回のその1とあわせて、「『公に』演奏する」ことを意味することになる、と私は考えます

あらためて《音楽教育を守る会 vs JASRAC》 第5回 著作権法第22条について その1

今回で第5回です。そろそろ著作権法第22条自体を見ていきたいと思います。今回はその1です。

 

 

著作権法第22条】

著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。

 

 

ポイントになるのは、「公衆に」「直接(途中略)聞かせることを目的として」の部分の解釈だと私は考えます。

 

 

さて、前々から書いているとおり、私は音楽教室にも第22条が適用されうると考えます。

 

確かに条文を素直に解釈すれば、音楽教室に第22条を当てはめるのは無理があるかもしれません。

音楽教室のレッスンで(講師が生徒に聞かせる見本演奏及び)生徒が講師に聞かせる演奏、これはあくまで演奏の指導に必要だからする演奏です。著作権法第22条で想定されている演奏、つまり誰かの音楽鑑賞で聞かせるためにする演奏にはならないのではないか、そう考えられます。どう考えても、著作権法第22条でいう「直接(途中略)聞かせることを目的として」いないと考えることができると思います。

 

しかし、です。カラオケやダンス教室にはすでに著作権料が徴収されている現在としては、音楽教室にも第22条は適用されうる、あるいは直ちに適用できなくても、カラオケ法理により著作権料徴収が認められると考えることができますし、そうしないとバランスがとれないと思います。

カラオケの場合ですが、昔は人に聞かせる意味が主でかなり強かったでしょうが、現在では圧倒的に自分が歌いたいから歌うのであり、つまり人に聞かせることは二の次です。カラオケボックスの場合は、まさにそうでしょう。そう考えると、直ちに第22条を当てはめることはできませんが、いわゆるカラオケ法理により著作権料徴収の対象となりうるわけですし、されています。

また、ダンス教室の場合は、人に聞かせることには違いありませんが、鑑賞のために聞かせることが目的なのではなく、その曲にあわせてダンスをしてほしいから曲をかけるのであり、 曲をかける意味が違います。

これらのことから考えれば、音楽教室も同様のことがいえるのではないか、と私は考えます。音楽教室では、誰か人に鑑賞させるために聞かせるのではなく、教室の中のレッスンの一環として演奏するにすぎないわけです。しかも、演奏が上達したい、その一心で、自らの意志で演奏しているのです。その意味においては、カラオケやダンス教室と同様に、第22条は適用されうる、あるいはカラオケ法理が当てはまる、といえるのではないか、と私は考えます。

加えて、カラオケにせよ、ダンス教室にせよ、すでに裁判において判断がなされています。そのことからも、やはり音楽教室著作権料を支払うことになると私は考えます。

 

 

あっ、先に「直接(途中略)聞かせることを目的として」の部分について書いてしまいました。

次回、「公衆」について書こうと思います。

 

 

(その2に続きます)

あらためて《音楽教育を守る会 vs JASRAC》 第4回 音楽教室と学校と教育について

簡単に言えば、音楽教室が学校であろうがなかろうが、また教育であろうがなかろうが、そのこととは関係なく「演奏権」の適用は考えられるものである、ということです。

大事なことは、「非営利、無料、無報酬」であるかどうか、ということです。

 

 

 

 

前々回のブログで、以下のようなことを私は書きました。

 

Yahooのネットニュース記事に、「音楽教育を守る会」側の弁護士の方の発言がありました。その発言とは、「現行著作権法の立法(1970年あたり)の際、『学校における音楽教育』と『社会における音楽教育』についての議論が行われた」という内容でした。また、その記事には、「幼少期の音楽教育経験が演奏家や教師としての将来につながるとみた当時の議論では、学校だけでなく社会教育も含めて『演奏権』から外すことを決めた」とも書いてありました。

 

 

 

この弁護士が、これらのことをわざわざ主張したということは、「音楽教育を守る会」側は「音楽教室は『学校』ではない。」と、自ら認めて言っている、ということではないでしょうか?(ちなみに、以前にも書きましたとおり、著作権法上の「学校」には、音楽教室はあてはまらないと私は考えています。これについては、後述します。)

  

また、「演奏権」は学校だから外されるということもありません

学校でも、「非営利、無料、無報酬」の条件に当てはまらなければ、「演奏権」についても著作(権)者の許諾が必要であり、著作権料を求められ支払うこともあります。例えば、学校の吹奏楽部が、例え数百円程度でも有料の演奏会を開催する場合は、曲により演奏利用許諾は必要で、著作権料も支払わなければなりません。また、文化祭(学園祭)で有料のライブをしたり、ライブ自体は無料でもミュージシャンにギャラが発生する場合には、曲により演奏利用許諾は必要で、著作権料も支払わなければなりません。

このことは著作権法を読めば明らかなことです。「学校だけでなく社会教育も含めて」と記事には書いてありましたが、学校でも社会教育でも「演奏権」は適用されます。

 

 

 

さて、またまた書きます。明らかに、学校教育法上、「音楽教室」は「学校」ではありません。ですから、当然著作権法上における「学校」でもないといっていいと思います。そこで、再び、著作権法上における「学校」「教育」とは何かを考えてみます。

 

著作権法には、「学校教育」、「学校」と書かれている条文はあっても、「教育」と書かれている条文はありません。確かに著作権法第35条第1項には「学校その他の『教育』機関(営利を目的として設置されているものを除く)」(注、引用した条文の「教育」に、このように鉤括弧をつけたのは私によります。以下、同様です。)とあります。しかし、これは「教育」そのものに関して書かれているわけではありません。この場合の「『教育』機関」とはあくまで「学校」に準じるものであると考えるべきです。いわゆる「音楽教室」はこれに当てはまらないと私は考えます。
そう考えると、著作権法では、単に「教育目的」であるかどうかではなく、「『学校』における『教育目的』」であるかどうかが問題になるのではないでしょうか?

 

さて、著作権法でいう「学校」とはなんでしょうか?
少なくとも、おそらく 「学校教育法」で規定されている「学校」であることに間違いはないと私は考えます(なお、私が以下に書く文における「学校」は、特別に説明や注釈等をつけない限りは、「学校教育法」で定義する「学校」のことです。)。
そして、いわゆる「音楽教室」は、この「学校教育法」に規定する「学校」ではないことは学校教育法上明白です。世の中にいろいろある「ダンス教室」、「英会話教室」、「料理教室」等の「〇〇教室」の類も、どれも「学校」ではありません。


その違いはなんでしょうか?「学校としての『認可』があるかないか」です。
つまり、私は、「学校」として「認可」されていない以上、「音楽教室」は「学校」ではなく、著作権法に書かれている「学校」乃至は「学校教育」とはまったくの関係のないもの、と考えます。


しつこいですが、繰り返します。
著作権法では「学校教育」と書かれていても、「教育」と書かれている条項はないと記憶しております。「学校教育」に関する条項はあっても、「学校」だけに限らない広い概念の「教育」に関する条項は存在しないはずです。
前述のとおり、著作権法第35条第1項には、「学校その他の『教育』機関(営利を目的として設置されているものを除く。)において(以下略)」と記載されています。でもこの「『教育』機関」とはあくまで「学校」に類するものであり、「音楽教室」がこれに当てはまるとは私にはとうてい考えられません。なにしろ、営利を目的としている以上、音楽教室は『学校その他の教育機関』ではない、と考えるべきです。
音楽教室」は、「学校」として認められていない、つまり「学校」として認可されていない以上は、そして例え教育目的はあるとしても授業料を得ている以上は、あくまで「営利目的」の団体組織にすぎません。


もっとも、この第35条第1項は「『複製権』についての例外規定の条項」です。第2項で「演奏権」についてふれられてはいますが、第2項はずばり「演奏権」そのものについての規定ではありません。また、その「演奏」行為は「教育機関(前述のとおり音楽教室ではありません。)」での行為であることの他、第38条第1項の規定による場合である旨が書かれています。
(なお。著作権法第38条第1項でも、第2項でも、著作権者の利益を不当に害する場合には、第35条の規定は適用されない旨、書かれています。音楽教室著作権者の利益を不当に害するかどうかは人により判断が分かれると思いますが、私は、現状のままでは不当に害すると考えます。それは、著作権者の権利にフリーライドしていると考えるからです。)

 


以上のことから、音楽教室」は、明らかに「学校」として認可されているわけではなく、そして、教育目的かもしれませんがあきらかに営利目的とされるでしょう。ですから、音楽教室」は、著作権法で規定されている著作権法の例外規定の適用対象には当てはまらないのではないか、と私は考えます。