知財管理技能検定1級ブランド専門業務試験合格への道かな?

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あらためて《音楽教育を守る会 vs JASRAC》 第5回 著作権法第22条について その1

今回で第5回です。そろそろ著作権法第22条自体を見ていきたいと思います。今回はその1です。

 

 

著作権法第22条】

著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。

 

 

ポイントになるのは、「公衆に」「直接(途中略)聞かせることを目的として」の部分の解釈だと私は考えます。

 

 

さて、前々から書いているとおり、私は音楽教室にも第22条が適用されうると考えます。

 

確かに条文を素直に解釈すれば、音楽教室に第22条を当てはめるのは無理があるかもしれません。

音楽教室のレッスンで(講師が生徒に聞かせる見本演奏及び)生徒が講師に聞かせる演奏、これはあくまで演奏の指導に必要だからする演奏です。著作権法第22条で想定されている演奏、つまり誰かの音楽鑑賞で聞かせるためにする演奏にはならないのではないか、そう考えられます。どう考えても、著作権法第22条でいう「直接(途中略)聞かせることを目的として」いないと考えることができると思います。

 

しかし、です。カラオケやダンス教室にはすでに著作権料が徴収されている現在としては、音楽教室にも第22条は適用されうる、あるいは直ちに適用できなくても、カラオケ法理により著作権料徴収が認められると考えることができますし、そうしないとバランスがとれないと思います。

カラオケの場合ですが、昔は人に聞かせる意味が主でかなり強かったでしょうが、現在では圧倒的に自分が歌いたいから歌うのであり、つまり人に聞かせることは二の次です。カラオケボックスの場合は、まさにそうでしょう。そう考えると、直ちに第22条を当てはめることはできませんが、いわゆるカラオケ法理により著作権料徴収の対象となりうるわけですし、されています。

また、ダンス教室の場合は、人に聞かせることには違いありませんが、鑑賞のために聞かせることが目的なのではなく、その曲にあわせてダンスをしてほしいから曲をかけるのであり、 曲をかける意味が違います。

これらのことから考えれば、音楽教室も同様のことがいえるのではないか、と私は考えます。音楽教室では、誰か人に鑑賞させるために聞かせるのではなく、教室の中のレッスンの一環として演奏するにすぎないわけです。しかも、演奏が上達したい、その一心で、自らの意志で演奏しているのです。その意味においては、カラオケやダンス教室と同様に、第22条は適用されうる、あるいはカラオケ法理が当てはまる、といえるのではないか、と私は考えます。

加えて、カラオケにせよ、ダンス教室にせよ、すでに裁判において判断がなされています。そのことからも、やはり音楽教室著作権料を支払うことになると私は考えます。

 

 

あっ、先に「直接(途中略)聞かせることを目的として」の部分について書いてしまいました。

次回、「公衆」について書こうと思います。

 

 

(その2に続きます)

あらためて《音楽教育を守る会 vs JASRAC》 第4回 音楽教室と学校と教育について

簡単に言えば、音楽教室が学校であろうがなかろうが、また教育であろうがなかろうが、そのこととは関係なく「演奏権」の適用は考えられるものである、ということです。

大事なことは、「非営利、無料、無報酬」であるかどうか、ということです。

 

 

 

 

前々回のブログで、以下のようなことを私は書きました。

 

Yahooのネットニュース記事に、「音楽教育を守る会」側の弁護士の方の発言がありました。その発言とは、「現行著作権法の立法(1970年あたり)の際、『学校における音楽教育』と『社会における音楽教育』についての議論が行われた」という内容でした。また、その記事には、「幼少期の音楽教育経験が演奏家や教師としての将来につながるとみた当時の議論では、学校だけでなく社会教育も含めて『演奏権』から外すことを決めた」とも書いてありました。

 

 

 

この弁護士が、これらのことをわざわざ主張したということは、「音楽教育を守る会」側は「音楽教室は『学校』ではない。」と、自ら認めて言っている、ということではないでしょうか?(ちなみに、以前にも書きましたとおり、著作権法上の「学校」には、音楽教室はあてはまらないと私は考えています。これについては、後述します。)

  

また、「演奏権」は学校だから外されるということもありません

学校でも、「非営利、無料、無報酬」の条件に当てはまらなければ、「演奏権」についても著作(権)者の許諾が必要であり、著作権料を求められ支払うこともあります。例えば、学校の吹奏楽部が、例え数百円程度でも有料の演奏会を開催する場合は、曲により演奏利用許諾は必要で、著作権料も支払わなければなりません。また、文化祭(学園祭)で有料のライブをしたり、ライブ自体は無料でもミュージシャンにギャラが発生する場合には、曲により演奏利用許諾は必要で、著作権料も支払わなければなりません。

このことは著作権法を読めば明らかなことです。「学校だけでなく社会教育も含めて」と記事には書いてありましたが、学校でも社会教育でも「演奏権」は適用されます。

 

 

 

さて、またまた書きます。明らかに、学校教育法上、「音楽教室」は「学校」ではありません。ですから、当然著作権法上における「学校」でもないといっていいと思います。そこで、再び、著作権法上における「学校」「教育」とは何かを考えてみます。

 

著作権法には、「学校教育」、「学校」と書かれている条文はあっても、「教育」と書かれている条文はありません。確かに著作権法第35条第1項には「学校その他の『教育』機関(営利を目的として設置されているものを除く)」(注、引用した条文の「教育」に、このように鉤括弧をつけたのは私によります。以下、同様です。)とあります。しかし、これは「教育」そのものに関して書かれているわけではありません。この場合の「『教育』機関」とはあくまで「学校」に準じるものであると考えるべきです。いわゆる「音楽教室」はこれに当てはまらないと私は考えます。
そう考えると、著作権法では、単に「教育目的」であるかどうかではなく、「『学校』における『教育目的』」であるかどうかが問題になるのではないでしょうか?

 

さて、著作権法でいう「学校」とはなんでしょうか?
少なくとも、おそらく 「学校教育法」で規定されている「学校」であることに間違いはないと私は考えます(なお、私が以下に書く文における「学校」は、特別に説明や注釈等をつけない限りは、「学校教育法」で定義する「学校」のことです。)。
そして、いわゆる「音楽教室」は、この「学校教育法」に規定する「学校」ではないことは学校教育法上明白です。世の中にいろいろある「ダンス教室」、「英会話教室」、「料理教室」等の「〇〇教室」の類も、どれも「学校」ではありません。


その違いはなんでしょうか?「学校としての『認可』があるかないか」です。
つまり、私は、「学校」として「認可」されていない以上、「音楽教室」は「学校」ではなく、著作権法に書かれている「学校」乃至は「学校教育」とはまったくの関係のないもの、と考えます。


しつこいですが、繰り返します。
著作権法では「学校教育」と書かれていても、「教育」と書かれている条項はないと記憶しております。「学校教育」に関する条項はあっても、「学校」だけに限らない広い概念の「教育」に関する条項は存在しないはずです。
前述のとおり、著作権法第35条第1項には、「学校その他の『教育』機関(営利を目的として設置されているものを除く。)において(以下略)」と記載されています。でもこの「『教育』機関」とはあくまで「学校」に類するものであり、「音楽教室」がこれに当てはまるとは私にはとうてい考えられません。なにしろ、営利を目的としている以上、音楽教室は『学校その他の教育機関』ではない、と考えるべきです。
音楽教室」は、「学校」として認められていない、つまり「学校」として認可されていない以上は、そして例え教育目的はあるとしても授業料を得ている以上は、あくまで「営利目的」の団体組織にすぎません。


もっとも、この第35条第1項は「『複製権』についての例外規定の条項」です。第2項で「演奏権」についてふれられてはいますが、第2項はずばり「演奏権」そのものについての規定ではありません。また、その「演奏」行為は「教育機関(前述のとおり音楽教室ではありません。)」での行為であることの他、第38条第1項の規定による場合である旨が書かれています。
(なお。著作権法第38条第1項でも、第2項でも、著作権者の利益を不当に害する場合には、第35条の規定は適用されない旨、書かれています。音楽教室著作権者の利益を不当に害するかどうかは人により判断が分かれると思いますが、私は、現状のままでは不当に害すると考えます。それは、著作権者の権利にフリーライドしていると考えるからです。)

 


以上のことから、音楽教室」は、明らかに「学校」として認可されているわけではなく、そして、教育目的かもしれませんがあきらかに営利目的とされるでしょう。ですから、音楽教室」は、著作権法で規定されている著作権法の例外規定の適用対象には当てはまらないのではないか、と私は考えます。

テレビ番組ブランド論から見たテレビ朝日の日曜早朝の番組改編について

これを書くのは、今度の番組改編時期での、テレビ朝日の日曜の早朝から午前10時までの時間帯での番組改編の内容を知ったことがきっかけです。

 

午前5時50分から午前8時半までの2時間40分、あらたに報道情報番組をスタートするそうです。そのため、午前7時半から午前8時半までの特撮番組(戦隊(〇〇レンジャー)シリーズと仮面ライダーシリーズ)は、午前9時から午前10時までの時間帯に移動することになったそうです。また、この2つの特撮番組とプリキュア(女の子と大きいお友達向けのアニメーション番組)以外で現在午前5時50分から午前8時半までの時間帯でやっている番組は、番組改編にあわせて終了となるようです。

 

 

さて、実は私、大した内容ではないですが「テレビ番組ブランド論」というものをこれまでずっと考えてきました(この「テレビ番組ブランド論」についてはいずれまた別の機会に)。その考えからすると、今回のテレビ朝日の日曜朝の番組改編にはいささか疑問を持っています。

 

 

テレビ朝日の「報道情報番組に力を入れたいという考え」は理解できます。テレビ朝日には、朝日新聞からつながる「報道情報のTV局」のイメージが、少なからずあるからです。また、地上波民放テレビ局としては、娯楽番組と報道情報番組とのバランスをどううまくとるかは、永遠の課題と言えるでしょう。

しかし、民放テレビ局も、公的役割があるとはいえ、営利企業の1つです。ビジネス収益をそれなりにあげてナンボです。それなりに視聴率を稼いでいたであろう番組の放送時間を変えてまで、あらたに報道情報番組を始めても、おそらく視聴率はさほどとれないと思います。もちろん、視聴率よりも、報道情報番組を放送すること自体に意義があるというならば、話は別です。

でも、日曜の朝の報道情報番組としては、既に、日本テレビの「シューイチ」、TBSの「サンデーモーニング」、フジテレビの「新報道2001」が存在します。これらそれぞれはそれなりに確立されていてしっかり定着していると思います。そこへ、テレビ朝日が割り込むのはどうなのだろうか、かなり無茶な冒険ではないか、と思いました。

 

だいたい、テレビ朝日は、かつて午前10時からでしたが報道番組がありました。しかし、それも今では2時間ドラマ枠です。視聴率もいいとは思えません。おそらく以前の報道番組の時と対して変わらない気がします。日曜の午前10時から12時の間は、まるでテレビ朝日にとっては捨て時間みたいに思えます。今度始まる早朝の報道情報番組も、この二の舞にならないといいのですが。私には、今回の改編により、テレビ朝日は、日曜の午前中は、一部を除いて、ほとんど捨ててしまったのではないか、そのように思えてしまいます。

 

話を戻します。前述の通り、日本テレビの「シューイチ」、TBSの「サンデーモーニング」、フジテレビの「新報道2001」については、「番組のブランド」は既にそれなりに確立されていて定着していると思います。けっして高い視聴率ではないと思いますが、それでもそれなりの視聴率はそれぞれとれていると思います。そこへ2時間40分の報道情報番組をぶつけてくるのですから、テレビ朝日は、よほどそれなりの視聴率がとれる自信があるのでしょうか?

なにより、戦隊(〇〇レンジャー)シリーズや仮面ライダーシリーズの、いわゆる「ニチアサキッズ」という確立した番組ブランドを、全くなくすわけではないですが、番組としてのブランドを毀損しかねない放送時間帯(ニチアサキッズのブランドを破壊しかねないほど、フジテレビのドラゴンボール超やワンピースは強敵な番組です。)に変更するのです。ブランド毀損というリスクを負ってまで、成功するかどうか未知数の日曜朝の長時間の報道情報番組を始める必要があるのかどうか、私には本当に疑問です。

 

 

 

今回のテレビ朝日の番組改編であらたに始まる報道情報番組について、①早朝5時50分からスタートすること、②2時間40分と放送時間が長いこと、③また多少とも他局の朝の報道情報番組と放送時間がずれていること、これらがプラスに作用すること祈ります。

 

 

 

しかし、スポンサーもよく了解したものです。テレビ番組のブランド毀損は、スポンサーの商品・サービスのブランド毀損にもつながりかねないと私は思うのですが?

プリキュアの放送時間(午前8時半〜9時)だけが変わらないのは、おそらくブランド毀損を嫌ったプリキュアのスポンサーがテレビ朝日からの求めに応じなかったからではないか、と私は考えています。

逆に、戦隊もの〇〇レンジャーシリーズと仮面ライダーシリーズのスポンサーは、番組の放送時間が変更されても、自社の商品・サービスには影響がないと判断したのでしょうね。だからテレビ朝日からの番組放送時間変更の求めに応じたのでしょう。

 

なお、テレビ番組ブランド論では、けっして高視聴率の番組=優良のテレビ番組ブランドとは限りません。もちろんそれなりの視聴率は必要です。

 

 

ちなみに、今回のテレビ朝日の日曜早朝の番組改編を一番喜んでいるのは、テレビ東京かもしれませんね。テレビ東京は、既に日曜の午前11時までの時間を、(おそらく大きいお友達までをも視野にいれて)子供向け番組を放送していますが、これが少しやりやすくなったわけです。テレビ東京とっては少しチャンスかも?

あらためて《音楽教育を守る会 vs JASRAC》 第3回 未来の音楽家は減少するか?

7月4日17時近くにYahooニュースが配信した神奈川新聞の記事を、たまたま目にしたのですが。

 

その中の章見だしにこう書いてありました。

《 ■「未来の音楽家減少」を懸念 》

と。

 

また、この記事の中でこう書かれていました。

『演奏することができる人を増やすことが目的の音楽教室から、著作権使用料を徴収することは、未来の音楽家を減少させることにつながる』

これは「音楽教育を守る会」側の弁護士の方の発言です。

 

今回の裁判の結果、著作権料徴収することになったとして、たかだかこのことで未来の音楽家が減少するとは、私には到底考えられません

音楽教室から著作権料が徴収されるのをさけるため、裁判に勝つために、「音楽教育を守る会」側の弁護士の方は意図的にこのような発言をされたのではないか、と勘ぐってしまいました。世間をあおりまた共感を得ることを目的として、こういう発言をわざとしたのではないか、と私には思えてなりません。

 

だいたい、著作権料が徴収されることが、何故音楽家の減少を招くのか?これらがどうつながるのか、そのロジックが私には全くわかりません

 

音楽教室から著作権料を徴収されるところで、これまでと変わらず音楽家を目指す人は音楽家を目指すと思います。

また、著作権料を徴収することは作曲家にとって(作曲家に限られ演奏のみの方にはあてはまりませんが)、著作権収入がより増える話、収入安定につながる話です。音楽家の中でも、作曲家を目指す人は、もしかしたら増えるのではないでしょうか?私はそう思います。

 

まあ、ここでおっしゃっている「音楽家」とは、プロの音楽家、職業音楽家のことだけではないようです。むしろ、趣味で楽器演奏をされているようなアマチュアの方、こちらを主と考えていると思います。おそらくそうでしょう。だって「音楽家の減少」=「楽器の売上の減少」につながりますから。楽器業界としては死活問題です。

 

でも、ですね、この著作権料、べらぼうな金額とは思えません。例えば、月謝が1万円として、著作権料がその5%だとしたら(実際はこれより低いはずです)、一人当たりの著作権料負担は一月あたり500円、年間で6000円。もっとも、音楽教室著作権料を支払うことになったら、音楽教室は、著作権料以外に、手数料名目でさらに上乗せしてくるかもしれませんが。

この程度の負担が増えるくらいで、音楽教室に行くのをあきらめるような人は、著作権料関係なく、最初から音楽教室にはいかないと思います。この程度で、「演奏ができるようになりたい」、その情熱がなくなるのであれば、所詮その程度の人です。そのような人のために、著作(権)者(けっしてJASRACではありません)のその権利をないがしろにすることこそむしろおかしいのではないでしょうか?

 

 

あと、この記事の中で、もう1つ気になったことがあります。

この「音楽教育を守る会」側の弁護士の方がおっしゃるには、現行著作権法(※)の立法の際、「学校における音楽教育」と「社会における音楽教育」についての議論があったそうです。私は知りませんでしたが、この時にこのような議論がされていたのは、素晴らしいことと思います。記事によると、この弁護士いわく、『幼少期の音楽教育経験が演奏家や教師としての将来につながるとみた当時の議論では、学校だけでなく社会教育も含めて「演奏権」から外すことを決めた』とのことのようです。

 

なるほど、そうなのですか。

 

ただ、それは現行著作権法に明文的に反映されたのでしょうか?もしかしたら、この当時は反映されていたのかもしれません。しかし、それから年月がたち、いろいろ改正がなされた現在の著作権法からは、私は条文をこのように読むことは到底できませんし、条文に反映されているとは全く思えません。

いくら立法の歴史的過程がそうだとしても、それを現在持ち出したところで、現在の著作権法からそのようには理解できません。

ならば、この主張についても、疑問をいだかざるを得ません。

 

もっとも、この弁護士の方が、「根本的に現在の著作権法自体が間違っている」とでもおっしゃるのならば、それはわからなくもありません。

しかし、そんな著作権法そのものを否定するロジックがはたして裁判で認められるのでしょうか?

 

私には疑問だらけです。

 

 

 

(※)昭和45年(1970年)5月6日制定

 

 

 

【重要】お詫び申し上げます。

最近の一部弊ブログ内で、誤った表記をしてしまいました。

正しくは「音楽『教育』を守る会」と書くべきところを、「音楽『教室』を守る会」と書いてしまいました。

いつの間にか、音楽教室と「音楽教育を守る会」とを一緒にしていました。

 

たいへん申し訳ございませんでした。お詫び申し上げます。

 

間違えるだけではなく、この間違った認識で皮肉めいたことを書いてしまい、「音楽教育を守る会」関係各位には非常に不快なお気持ちをさせてしまい、本当に申し訳ございませんでした。

今後は、正しい認識のもとブログを書いていくとともに、批判を行なっていくにせよ他人を不快にさせる表現をしないよう、気をつけてまいります。

 

御指摘くださりました、弊ブログ読者の方には、心よりお礼申し上げます。あやうく間違ったことを書き続けるところでした。本当に感謝いたします。

 

なお、当該弊ブログはすでに修正をしました。万が一修正漏れがございましたら、あらためてお詫び申し上げますとともに、その旨の御指摘をいただきたく、お願い申し上げます。

 

最後にあらためて申し上げます。たいへん申し訳ございませんでした。

あらためて《音楽教育を守る会 vs JASRAC》 第2回 著作権法制度における、著作者・著作権者等の権利と社会公益性について

今回は、いつもとは異なった観点で書きます。著作権法制度における、著作者・著作権者等の権利と社会公益性について」とでもいいましょうか。

 

なぜ、突然こんなことを書くかと言いますと、「音楽教育を守る会」の主張の中に、著作権法第1条にからめた主張があったからです。そこで私も著作権法第1条について書こうと考えたのです。

 

 

 

さて。

少なくとも、現行の日本の著作権法制度は、「権利者(著作者・著作権者等)の権利を認め尊重し守る」ことが、その目的のはずです。これは、著作権法制度の歴史的経緯からしても明らかです。
しかし、これを徹底すると社会に対して不具合が生じてしまいます。だから、正当かつ合理的な範囲で、社会のために、権利者(著作者や著作権者等)の権利は制限される、ということになっています。



著作権法第1条にはこう書かれています。

著作権法第1条】
「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする。」

つまり、この著作権法第1条には、
著作権法は、権利者(著作隣接権者等含む著作者、著作権者)の権利を定め(権利内容設定)、その権利を守ること(権利保護)が目的である
②しかし、その権利は、著作物の利用(けっして使用ではない、そしてそれは公正な利用でなければならない)における社会的公益性に配慮した上で、守られなければならない(制限つき権利保護)
③これらのことによって文化の発展に貢献する
ということが書かれています。


すなわち、著作権法の目的は、著作隣接権者等含む著作者、著作権者の権利を守ることなのです。それは著作物の利用(けっして使用ではない、そしてそれは公正な利用でなければならない)における社会的公益性に配慮した上でなければならない、ということにすぎません。社会的公益性に配慮するあまり、著作隣接権者等含む著作者、著作権者の権利が必要以上に制限されるわけではけっしてありません。その上で、究極的に「文化の発展にに寄与する」ものなのです。

第1条のみならず、著作権法全体の構造からしても、権利者の権利保護が重視されていることがわかります。著作権法では、先に各権利について規定されています。そして、その後に権利制限がされる場合について規定されています。
つまり、著作権法では、
①権利者の権利、その内容と保護、
が規定され、その後に
②権利制限、
が規定されています。
①がまず優先されるべきものであり、②はあくまで必要があるならばその限定範囲において①を制限するためのものにすぎない、そのことがわかると思います。そしてこれが寄与することで、たどりつく先にあるのが「文化の発展」なのです。

 

 

少なくとも現行の日本の著作権法制度においては、社会公益性が著作権を制限することはあっても、けっして社会公益性が著作権より優先されているわけではない、ということがおわかりになられたのではないか、と思います。
以降、これを前提として、私は話を続けていきます。

あらためて《音楽教育を守る会 vs JASRAC》 第1回 そもそも論

確か前にも書いたと思いますが、そもそもJASRAC音楽教室に対して著作権料の支払いを求めているのであり、音楽教室の生徒に支払いを求めているのではありません

 

もっとも、裁判の結果、もし仮に音楽教室著作権料を支払うことになったとして、音楽教室側は、間違いなくレッスン料にその著作権料を上乗せするでしょう。そうでなければ、音楽教室側は、損をしますから。だから実質的には、著作権料を支払うのは生徒、という形になります。でも、これは音楽教室側が支払うべき著作権料が、レッスン料に反映され上乗せされるだけの話です。音楽教室で使用されるテキストと同じ理屈です。

 

勘違いしてはいけないのは、このことと、今回の裁判の争点とは全く別の話である、ということです。

仮に音楽教室側が「著作権料を自分達のみで負担し、生徒達には一切負担させない。」というスタンスであれば、生徒達にとっては、著作権料をJASRACが徴収しょうがしまいが別にどちらでもいい話なのです。音楽教室が、生徒の負担になることを当然のように言っているから、生徒側も勘違いしてしまうだけの話です。

 

だいたい、会の名前が、「音楽『教育』を守る会」です。一見これは社会のための会に思えます。私も、最初はそう思いました。しかし、この会は、あくまで自分達のビジネスを守ること(具体的に言えば、著作権料を支払わず損をしないこと)が目的なのではないでしょうか?その正当性を主張するために、生徒を巻き込んでいるにすぎないのではないか、と私は思います。

音楽教育を守る、このお題目は実は二の次なのではないか。と私には思えてしまいます。いかに自分達が損しないか、ただそれだけの話なのではないでしょうか。

 

ちゃんと説明もせずに、生徒を巻き込む形でJASRACに反対している「音楽教育を守る会」には、私には違和感を感じます。

もちろん、ビジネスですから、レッスン料に上乗せするのは、当然のことです。音楽教室というサービスを提供するための必要経費なのですから。ただ、そのことをちゃんと説明するべきです。

 

そもそもこの裁判において「音楽教育を守る会」にどれだけの正当性があるのか、私には疑問です。

 

 

いささか話がずれてしまいました。

さて、なぜこのようなことをわざわざあらためて書くかと言いますと、著作権法第22条の問題とのからみがあるからです。

今回の裁判のケースは、「カラオケ法理」的なものだと考えます。実際の演奏主体は生徒(と講師)ですが、著作権料を負担するべきは音楽教室です。これは、実際にカラオケで歌うお客と、著作権料を支払う義務があるカラオケ店の関係と同じではないでしょうか、ということです。