知財管理技能検定1級ブランド専門業務試験合格への道かな?

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「JASRACはイーライセンスの新規参入妨害をしている」という判決が確定されましたね

先日、最高裁公正取引委員会による上告請求が棄却され、「JASRACはイーライセンスの新規参入妨害をしている」という高裁判決が確定されました。

放送局等との契約でイーライセンスの新規参入をJASRACは妨害しているとして、公正取引委員会の「JASRACは新規参入妨害をしていない」という主張を退け、最高裁が上告を棄却した、ということらしいです(ということは、公正取引委員会的には問題はないと判断していたわけですね。)。

私は、ニュースのみで知って、詳しく判決文を読んではいないので詳しい状況を知りませんが、個人的にはこの最高裁の決定には違和感を感じてなりません。
まあ、あらためて公正取引委員会は審判しなおさなければならないことになったらしいですので、全てはそこからですね。要注目です。この成り行きは、今後見守っていくつもりです。


それよりも、この裁判における社会的背景として、私はむしろ、世の中がこれだけ大きく変化したにもかかわらず、世間一般的な著作権についての知識と意識が旧態のままであることに対して、もっとも強い違和感を感じています。

著作権の歴史を振り返ると、テクノロジーの発達と密接な関係があるわけです(古くは活版印刷から、アナログレコーディング、そして現在のインターネットテクノロジーやデジタルテクノロジーまで)が、現在において大事なことは、「テクノロジーの発達によって、『誰もが簡単に著作者となることができるようになった』が、それは同時に、また逆に、『誰もが簡単に著作権を侵害できてしまうようにもなってしまった』」ということです。特に、「誰もが簡単に著作権を侵害できてしまう」ことが重要です。

そもそも、昔は、著作者(著作権者含む)は極少数で、圧倒的に著作物を享受する側が多かったわけです。著作者(著作権者含む)と、著作物の享受者はある意味完全にわかれていて、著作物享受者の利用よりも、著作者(著作権者含む)の権利保護がむしろ重要であり中心であって、その観点で著作権法制度があり、著作権が守られていた、と言えると考えます。

現代は、著作者(著作権者含む)と、著作物の享受者は、明確にわけることができなくなったといえます。さらに、テクノロジーの発達は、(二次創作含む)創作の容易化と、さらに重要なこととして、インターネット等におけるその発表の場の構築、増加と、(デジタルテクノロジーによる)著作権侵害の容易化、これらを引き起こしたわけです。
誰もが同時に、著作者(著作権者含む)でもあり、誰もが著作物の享受者でもあり、誰もが著作権の権利者にもなり、誰もが著作物の利用者にもなり、誰もが著作権侵害者にもなりうる、それが現在だと思います。その点で、今の社会は、著作権的には、非常に複雑な社会といえると思います。

その複雑な社会において、JASRACの存在は現在ではますます大きくなったと思います。
私は、現在のJASRACの全てを肯定するつもりは、ありません。むしろ、JASRACにも直すべきところがあるとさえ考えています。
とはいえ、一部の人達のように、ちゃんと正しく理解しようとせず、カスラックなどと揶揄し、闇雲にわけもわからずにただ批判するのは、なんだかなと思います。

話を今回の裁判に戻します。裁判では、「包括契約」が問題に挙げられたようで、この存在がイーライセンスなどの他の著作権管理団体の新規参入を妨害していると判断されたようです。

では、どうすればいいのでしょうか?

包括契約があるからこそ、私達は著作物の利用が安心してできるといえます。youtubeニコニコ動画で、安心して他人の著作物である音楽等を利用したりして投稿できるのは、包括契約JASRACyoutubeニコニコ動画とがしているからに他ありません。同様のことは、放送局にもいえますし、あとカラオケもそうですよね(もちろん、包括契約ではなく、曲別の許諾の契約という形もありますが、いちいち一曲ずつ契約するとはありえません。そうでなければ、いったいどれだけ契約しなければいけなくなるでしょうか)。現在の日本社会では、包括契約があるから、著作者(著作権者含む)にいちいち許諾を得なくても、トラブルにならずに、著作物の利用ができるのです。
過去には、大槻ケンヂさんやファンキー末吉さんに、事件がおきました。これは重大な事件です(少なくとも私はそう思います。)。ですが、これは個別的問題の事件です。まずは、当事者間で解決すべき事件です。事件の当事者ならともかく、事件の当事者でない人達が、実際にJASRACとやりあったわけではないのに、また全てのミュージシャン、アーティストが同じ目にあっているわけでもないのに、これで鬼の首でもとったかのようにJASRACを批判するのは全くの筋違いというものです。そしてその人達の著作権法制度に対する無知無理解ぶりには、もはや呆れてものがいえません。
大部分においては、少なくとも著作物を利用する側としては、包括契約は非常に便利な制度なんです。
その包括契約が否定されかねない判決がでたとなると、「じゃあどうすればいいの?」と利用する立場としては、考えてしまいます。いちいち一つずつ楽曲ごとに利用許諾を受けなければいけないのでしょうか?


著作物「利用」者の視点でも、裁判所は著作権法制度を考えて欲しいものです。著作者(著作権者含む)にとってはあまりメリットがない(人によってはむしろデメリットの方が多い)制度でも、著作物の利用者にはメリットの多いシステム、それが「包括契約」なんです。

いっそのこと、全ての著作権管理団体が一つになってくれれば、さらに便利で使いやすくなるのにと、著作物を利用する側としてそう思ってしまいます。