知財管理技能検定1級ブランド専門業務試験合格への道かな?

知財管理技能検定1級ブランド専門業務試験に向けて諸々のこと、その他書籍やニュースなどの知財、その他の法律等に関して、思いついたら書きます

テレビ番組ブランド論から見たテレビ朝日の日曜早朝の番組改編について

これを書くのは、今度の番組改編時期での、テレビ朝日の日曜の早朝から午前10時までの時間帯での番組改編の内容を知ったことがきっかけです。

 

午前5時50分から午前8時半までの2時間40分、あらたに報道情報番組をスタートするそうです。そのため、午前7時半から午前8時半までの特撮番組(戦隊(〇〇レンジャー)シリーズと仮面ライダーシリーズ)は、午前9時から午前10時までの時間帯に移動することになったそうです。また、この2つの特撮番組とプリキュア(女の子と大きいお友達向けのアニメーション番組)以外で現在午前5時50分から午前8時半までの時間帯でやっている番組は、番組改編にあわせて終了となるようです。

 

 

さて、実は私、大した内容ではないですが「テレビ番組ブランド論」というものをこれまでずっと考えてきました(この「テレビ番組ブランド論」についてはいずれまた別の機会に)。その考えからすると、今回のテレビ朝日の日曜朝の番組改編にはいささか疑問を持っています。

 

 

テレビ朝日の「報道情報番組に力を入れたいという考え」は理解できます。テレビ朝日には、朝日新聞からつながる「報道情報のTV局」のイメージが、少なからずあるからです。また、地上波民放テレビ局としては、娯楽番組と報道情報番組とのバランスをどううまくとるかは、永遠の課題と言えるでしょう。

しかし、民放テレビ局も、公的役割があるとはいえ、営利企業の1つです。ビジネス収益をそれなりにあげてナンボです。それなりに視聴率を稼いでいたであろう番組の放送時間を変えてまで、あらたに報道情報番組を始めても、おそらく視聴率はさほどとれないと思います。もちろん、視聴率よりも、報道情報番組を放送すること自体に意義があるというならば、話は別です。

でも、日曜の朝の報道情報番組としては、既に、日本テレビの「シューイチ」、TBSの「サンデーモーニング」、フジテレビの「新報道2001」が存在します。これらそれぞれはそれなりに確立されていてしっかり定着していると思います。そこへ、テレビ朝日が割り込むのはどうなのだろうか、かなり無茶な冒険ではないか、と思いました。

 

だいたい、テレビ朝日は、かつて午前10時からでしたが報道番組がありました。しかし、それも今では2時間ドラマ枠です。視聴率もいいとは思えません。おそらく以前の報道番組の時と対して変わらない気がします。日曜の午前10時から12時の間は、まるでテレビ朝日にとっては捨て時間みたいに思えます。今度始まる早朝の報道情報番組も、この二の舞にならないといいのですが。私には、今回の改編により、テレビ朝日は、日曜の午前中は、一部を除いて、ほとんど捨ててしまったのではないか、そのように思えてしまいます。

 

話を戻します。前述の通り、日本テレビの「シューイチ」、TBSの「サンデーモーニング」、フジテレビの「新報道2001」については、「番組のブランド」は既にそれなりに確立されていて定着していると思います。けっして高い視聴率ではないと思いますが、それでもそれなりの視聴率はそれぞれとれていると思います。そこへ2時間40分の報道情報番組をぶつけてくるのですから、テレビ朝日は、よほどそれなりの視聴率がとれる自信があるのでしょうか?

なにより、戦隊(〇〇レンジャー)シリーズや仮面ライダーシリーズの、いわゆる「ニチアサキッズ」という確立した番組ブランドを、全くなくすわけではないですが、番組としてのブランドを毀損しかねない放送時間帯(ニチアサキッズのブランドを破壊しかねないほど、フジテレビのドラゴンボール超やワンピースは強敵な番組です。)に変更するのです。ブランド毀損というリスクを負ってまで、成功するかどうか未知数の日曜朝の長時間の報道情報番組を始める必要があるのかどうか、私には本当に疑問です。

 

 

 

今回のテレビ朝日の番組改編であらたに始まる報道情報番組について、①早朝5時50分からスタートすること、②2時間40分と放送時間が長いこと、③また多少とも他局の朝の報道情報番組と放送時間がずれていること、これらがプラスに作用すること祈ります。

 

 

 

しかし、スポンサーもよく了解したものです。テレビ番組のブランド毀損は、スポンサーの商品・サービスのブランド毀損にもつながりかねないと私は思うのですが?

プリキュアの放送時間(午前8時半〜9時)だけが変わらないのは、おそらくブランド毀損を嫌ったプリキュアのスポンサーがテレビ朝日からの求めに応じなかったからではないか、と私は考えています。

逆に、戦隊もの〇〇レンジャーシリーズと仮面ライダーシリーズのスポンサーは、番組の放送時間が変更されても、自社の商品・サービスには影響がないと判断したのでしょうね。だからテレビ朝日からの番組放送時間変更の求めに応じたのでしょう。

 

なお、テレビ番組ブランド論では、けっして高視聴率の番組=優良のテレビ番組ブランドとは限りません。もちろんそれなりの視聴率は必要です。

 

 

ちなみに、今回のテレビ朝日の日曜早朝の番組改編を一番喜んでいるのは、テレビ東京かもしれませんね。テレビ東京は、既に日曜の午前11時までの時間を、(おそらく大きいお友達までをも視野にいれて)子供向け番組を放送していますが、これが少しやりやすくなったわけです。テレビ東京とっては少しチャンスかも?

あらためて《音楽教育を守る会 vs JASRAC》 第3回 未来の音楽家は減少するか?

7月4日17時近くにYahooニュースが配信した神奈川新聞の記事を、たまたま目にしたのですが。

 

その中の章見だしにこう書いてありました。

《 ■「未来の音楽家減少」を懸念 》

と。

 

また、この記事の中でこう書かれていました。

『演奏することができる人を増やすことが目的の音楽教室から、著作権使用料を徴収することは、未来の音楽家を減少させることにつながる』

これは「音楽教育を守る会」側の弁護士の方の発言です。

 

今回の裁判の結果、著作権料徴収することになったとして、たかだかこのことで未来の音楽家が減少するとは、私には到底考えられません

音楽教室から著作権料が徴収されるのをさけるため、裁判に勝つために、「音楽教育を守る会」側の弁護士の方は意図的にこのような発言をされたのではないか、と勘ぐってしまいました。世間をあおりまた共感を得ることを目的として、こういう発言をわざとしたのではないか、と私には思えてなりません。

 

だいたい、著作権料が徴収されることが、何故音楽家の減少を招くのか?これらがどうつながるのか、そのロジックが私には全くわかりません

 

音楽教室から著作権料を徴収されるところで、これまでと変わらず音楽家を目指す人は音楽家を目指すと思います。

また、著作権料を徴収することは作曲家にとって(作曲家に限られ演奏のみの方にはあてはまりませんが)、著作権収入がより増える話、収入安定につながる話です。音楽家の中でも、作曲家を目指す人は、もしかしたら増えるのではないでしょうか?私はそう思います。

 

まあ、ここでおっしゃっている「音楽家」とは、プロの音楽家、職業音楽家のことだけではないようです。むしろ、趣味で楽器演奏をされているようなアマチュアの方、こちらを主と考えていると思います。おそらくそうでしょう。だって「音楽家の減少」=「楽器の売上の減少」につながりますから。楽器業界としては死活問題です。

 

でも、ですね、この著作権料、べらぼうな金額とは思えません。例えば、月謝が1万円として、著作権料がその5%だとしたら(実際はこれより低いはずです)、一人当たりの著作権料負担は一月あたり500円、年間で6000円。もっとも、音楽教室著作権料を支払うことになったら、音楽教室は、著作権料以外に、手数料名目でさらに上乗せしてくるかもしれませんが。

この程度の負担が増えるくらいで、音楽教室に行くのをあきらめるような人は、著作権料関係なく、最初から音楽教室にはいかないと思います。この程度で、「演奏ができるようになりたい」、その情熱がなくなるのであれば、所詮その程度の人です。そのような人のために、著作(権)者(けっしてJASRACではありません)のその権利をないがしろにすることこそむしろおかしいのではないでしょうか?

 

 

あと、この記事の中で、もう1つ気になったことがあります。

この「音楽教育を守る会」側の弁護士の方がおっしゃるには、現行著作権法(※)の立法の際、「学校における音楽教育」と「社会における音楽教育」についての議論があったそうです。私は知りませんでしたが、この時にこのような議論がされていたのは、素晴らしいことと思います。記事によると、この弁護士いわく、『幼少期の音楽教育経験が演奏家や教師としての将来につながるとみた当時の議論では、学校だけでなく社会教育も含めて「演奏権」から外すことを決めた』とのことのようです。

 

なるほど、そうなのですか。

 

ただ、それは現行著作権法に明文的に反映されたのでしょうか?もしかしたら、この当時は反映されていたのかもしれません。しかし、それから年月がたち、いろいろ改正がなされた現在の著作権法からは、私は条文をこのように読むことは到底できませんし、条文に反映されているとは全く思えません。

いくら立法の歴史的過程がそうだとしても、それを現在持ち出したところで、現在の著作権法からそのようには理解できません。

ならば、この主張についても、疑問をいだかざるを得ません。

 

もっとも、この弁護士の方が、「根本的に現在の著作権法自体が間違っている」とでもおっしゃるのならば、それはわからなくもありません。

しかし、そんな著作権法そのものを否定するロジックがはたして裁判で認められるのでしょうか?

 

私には疑問だらけです。

 

 

 

(※)昭和45年(1970年)5月6日制定

 

 

 

【重要】お詫び申し上げます。

最近の一部弊ブログ内で、誤った表記をしてしまいました。

正しくは「音楽『教育』を守る会」と書くべきところを、「音楽『教室』を守る会」と書いてしまいました。

いつの間にか、音楽教室と「音楽教育を守る会」とを一緒にしていました。

 

たいへん申し訳ございませんでした。お詫び申し上げます。

 

間違えるだけではなく、この間違った認識で皮肉めいたことを書いてしまい、「音楽教育を守る会」関係各位には非常に不快なお気持ちをさせてしまい、本当に申し訳ございませんでした。

今後は、正しい認識のもとブログを書いていくとともに、批判を行なっていくにせよ他人を不快にさせる表現をしないよう、気をつけてまいります。

 

御指摘くださりました、弊ブログ読者の方には、心よりお礼申し上げます。あやうく間違ったことを書き続けるところでした。本当に感謝いたします。

 

なお、当該弊ブログはすでに修正をしました。万が一修正漏れがございましたら、あらためてお詫び申し上げますとともに、その旨の御指摘をいただきたく、お願い申し上げます。

 

最後にあらためて申し上げます。たいへん申し訳ございませんでした。

あらためて《音楽教育を守る会 vs JASRAC》 第2回 著作権法制度における、著作者・著作権者等の権利と社会公益性について

今回は、いつもとは異なった観点で書きます。著作権法制度における、著作者・著作権者等の権利と社会公益性について」とでもいいましょうか。

 

なぜ、突然こんなことを書くかと言いますと、「音楽教育を守る会」の主張の中に、著作権法第1条にからめた主張があったからです。そこで私も著作権法第1条について書こうと考えたのです。

 

 

 

さて。

少なくとも、現行の日本の著作権法制度は、「権利者(著作者・著作権者等)の権利を認め尊重し守る」ことが、その目的のはずです。これは、著作権法制度の歴史的経緯からしても明らかです。
しかし、これを徹底すると社会に対して不具合が生じてしまいます。だから、正当かつ合理的な範囲で、社会のために、権利者(著作者や著作権者等)の権利は制限される、ということになっています。



著作権法第1条にはこう書かれています。

著作権法第1条】
「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする。」

つまり、この著作権法第1条には、
著作権法は、権利者(著作隣接権者等含む著作者、著作権者)の権利を定め(権利内容設定)、その権利を守ること(権利保護)が目的である
②しかし、その権利は、著作物の利用(けっして使用ではない、そしてそれは公正な利用でなければならない)における社会的公益性に配慮した上で、守られなければならない(制限つき権利保護)
③これらのことによって文化の発展に貢献する
ということが書かれています。


すなわち、著作権法の目的は、著作隣接権者等含む著作者、著作権者の権利を守ることなのです。それは著作物の利用(けっして使用ではない、そしてそれは公正な利用でなければならない)における社会的公益性に配慮した上でなければならない、ということにすぎません。社会的公益性に配慮するあまり、著作隣接権者等含む著作者、著作権者の権利が必要以上に制限されるわけではけっしてありません。その上で、究極的に「文化の発展にに寄与する」ものなのです。

第1条のみならず、著作権法全体の構造からしても、権利者の権利保護が重視されていることがわかります。著作権法では、先に各権利について規定されています。そして、その後に権利制限がされる場合について規定されています。
つまり、著作権法では、
①権利者の権利、その内容と保護、
が規定され、その後に
②権利制限、
が規定されています。
①がまず優先されるべきものであり、②はあくまで必要があるならばその限定範囲において①を制限するためのものにすぎない、そのことがわかると思います。そしてこれが寄与することで、たどりつく先にあるのが「文化の発展」なのです。

 

 

少なくとも現行の日本の著作権法制度においては、社会公益性が著作権を制限することはあっても、けっして社会公益性が著作権より優先されているわけではない、ということがおわかりになられたのではないか、と思います。
以降、これを前提として、私は話を続けていきます。

あらためて《音楽教育を守る会 vs JASRAC》 第1回 そもそも論

確か前にも書いたと思いますが、そもそもJASRAC音楽教室に対して著作権料の支払いを求めているのであり、音楽教室の生徒に支払いを求めているのではありません

 

もっとも、裁判の結果、もし仮に音楽教室著作権料を支払うことになったとして、音楽教室側は、間違いなくレッスン料にその著作権料を上乗せするでしょう。そうでなければ、音楽教室側は、損をしますから。だから実質的には、著作権料を支払うのは生徒、という形になります。でも、これは音楽教室側が支払うべき著作権料が、レッスン料に反映され上乗せされるだけの話です。音楽教室で使用されるテキストと同じ理屈です。

 

勘違いしてはいけないのは、このことと、今回の裁判の争点とは全く別の話である、ということです。

仮に音楽教室側が「著作権料を自分達のみで負担し、生徒達には一切負担させない。」というスタンスであれば、生徒達にとっては、著作権料をJASRACが徴収しょうがしまいが別にどちらでもいい話なのです。音楽教室が、生徒の負担になることを当然のように言っているから、生徒側も勘違いしてしまうだけの話です。

 

だいたい、会の名前が、「音楽『教育』を守る会」です。一見これは社会のための会に思えます。私も、最初はそう思いました。しかし、この会は、あくまで自分達のビジネスを守ること(具体的に言えば、著作権料を支払わず損をしないこと)が目的なのではないでしょうか?その正当性を主張するために、生徒を巻き込んでいるにすぎないのではないか、と私は思います。

音楽教育を守る、このお題目は実は二の次なのではないか。と私には思えてしまいます。いかに自分達が損しないか、ただそれだけの話なのではないでしょうか。

 

ちゃんと説明もせずに、生徒を巻き込む形でJASRACに反対している「音楽教育を守る会」には、私には違和感を感じます。

もちろん、ビジネスですから、レッスン料に上乗せするのは、当然のことです。音楽教室というサービスを提供するための必要経費なのですから。ただ、そのことをちゃんと説明するべきです。

 

そもそもこの裁判において「音楽教育を守る会」にどれだけの正当性があるのか、私には疑問です。

 

 

いささか話がずれてしまいました。

さて、なぜこのようなことをわざわざあらためて書くかと言いますと、著作権法第22条の問題とのからみがあるからです。

今回の裁判のケースは、「カラオケ法理」的なものだと考えます。実際の演奏主体は生徒(と講師)ですが、著作権料を負担するべきは音楽教室です。これは、実際にカラオケで歌うお客と、著作権料を支払う義務があるカラオケ店の関係と同じではないでしょうか、ということです。

 

「三人寄れば文殊の知恵」

突然ですが、美術館の絵画をスマホで撮影したその写真をSNSやブログにアップした場合、これは問題にはならないでしょうか?

 

絵画ですから、その著作権が問題になるのはすぐに考えつきます。また、その絵画の「所有権」も、場合によっては考えなければならないことも知っていました。ただ、その絵画を展示している美術館の「施設管理権」については私には盲点でした。確かにこれも考えなければなりません。

 

詳しいことは、

 

美術館でも広がる「スマホで撮影OK」、撮った画像は自由に使えるの?|弁護士ドットコムニュース | https://www.bengo4.com/houmu/17/n_6216/

 

こちらをご覧ください。私が説明するより、弁護士の方の記事の方がはるかにわかりやすいです。

 

 

さて、今回あらためて考えたのは、「世の中は複雑で面倒で大変。でもいろいろ考えなきゃダメ。一つのことだけ考えてもダメだよね。」ということです。

 

今回の美術館の絵画の写真の件でいえば、絵画の著作権だけではなく、絵画所有者の所有権、そして美術館の施設管理権ここまで考慮する必要がある、ということです。

実はこのようなことはたくさんあるのでは?と思います。いろいろ当てはまると思います。

例えば、私がこのブログで書いている「音楽教室を守る会 vs JASRAC」の問題。私はこのブログでは比較的単純に著作権法制度のみで考えて書いています。しかし、もっと深く考えるならば、例えば、「音楽文化とは何か」というところから考えなければならないでしょうし、また「他の国での音楽教室著作権法制度について」も比較対象にいれて考えなければならないでしょう。

政治の世界でもそうです。今東京で問題になっている、豊洲市場の問題なんて、まさにそうです。確かに、地下汚染物質は最重要論点の一つです。しかし、他にも考えることは沢山あり、それらが非常に複雑に絡まってしまい、なかなかすぐには結論を出すことができないのは事実です。かといって、結論はもはやすぐにでもださないといけません。これはとてもとても難しいです。しかし、この問題から逃げることはできません。

 

 

閑話休題

今のこんな時代、どんなことも考えることが多岐にわたったりしています。一つのことだけ考えていればそれでOK、ではもはやありません。

複雑で面倒で大変で、例え非常に困難なことであっても、できる限りいろいろなことを考慮していかないと、後々大変なことになりかねません。

もちろん、人一人の思考能力なんざ、たかがしれています。だから、みんな集まって話をするのではないでしょうか?もっとも大勢人が集まっても、まともに話し合いができない人達もいらっしゃいますけどね。

 

 

 

昔の人は言いました、「三人寄れば文殊の知恵」と。これは、まさにそういうことではないでしょうか?これが大事なのではないでしょうか?

【緊急】 しっかり権利は守らないと 〜 イチゴの話 その3

(その2の続きです。)

 

前回、「 ただ、そのアジア各国や韓国からの日本への輸出(日本からみたら輸入)を差し止めることはできるかもしれません。」と書きました。

つまり、日本の新品種についての育成者権を侵害する物品(アジア各国や韓国からの韓国産イチゴ新品種)ならば、税関での差し止めができる、ということです。輸入される前に、税関で差し止められることで、少なくとも日本には出回ることはない、ということです。

 

 

しかし、ここでもう一つ疑問があります。

③韓国で作られているイチゴ新品種は、日本の新品種の改良品種(つまり別の品種)なのか、それともやはり日本のイチゴの新品種なのか?

という点です。

韓国産イチゴ新品種が、日本のイチゴ新品種とは異なる別品種といえる程度に改良されたものならば、差し止めはできないでしょう。(※)

また、もし改良品種ならば、韓国でその改良品種を生産すること、そしてその生産したイチゴをアジア各国で販売すること、これらは全く問題ありません。

さらに、それ以前に、契約の内容によっては、契約に違反してすらいないことになります。つまり、品種改良をせず、またした場合その改良品種を広めてつくり販売しないことを、契約に盛り込んで規定されていない限り、これらの行為は契約違反にはならないとされるでしょう。おそらくUPOV条約も役には立ちません。(※※)

 

 

そうである以上、韓国産品種イチゴに対してはもはやどうにもできないと思います。これからは、まず韓国産イチゴよりさらに高品質のイチゴ品種をつくりあげることに力を入れるべきです。そして、今回の件を教訓に、国外への新品種の流出に注意しつつ、その日本産新品種イチゴの生産及びアジア各国でそれを販売展開することに、注力をするべきでしょう。韓国産イチゴをアジア各国の市場から追い出すほどに。

 

 

(※)

韓国の新品種は、「雪香」、「苺香」、「錦香」というそうです。「雪香」という品種は、日本の「章姫」と「レッドパール」という品種をかけあわしてできた改良品種、「苺香」という品種は、日本の「章姫」と「栃の峰」という品種をかけあわしてできた改良品種、「錦香」という品種は、「章姫」と「とちおとめ」という品種をかけあわしてできた改良品種、だそうです。

 

(※※)

日本のイチゴ品種と同じものをつくれば、間違いなく契約違反です。しかし、もし契約に品種改良についての規定がないならば、品種改良の行為は契約違反ではありません。

 また、UPOV条約に、品種改良についての規定があるかどうかは、私にはわかりませんでした(なお、日本の種苗法では、確か、許諾なく品種改良した場合、それについても育成権者の権利が及ぶはずです。もちろん日本国内での話です。)。しかし、どちらにせよ、韓国ではイチゴがこの条約での保護対象品目ではありません。そうである以上、今回の韓国での品種改良行為は残念ながら、条約上問題にはならない、としかいえません。