知財管理技能検定1級ブランド専門業務試験合格への道かな?

知財管理技能検定1級ブランド専門業務試験に向けて諸々のこと、その他書籍やニュースなどの知財、その他の法律等に関して、思いついたら書きます

合格とは「スタートラインに初めて立つことができる」ことに他ならない

続いて、UPします。来週土曜日は、知的財産管理技能試験前日のため、このブログをUPすることはまずないと思うからです。UPのしだめです(笑)。


ある書籍の前書きを読んでふと思ったことがあります。以下にそれを書きます。


私は常々、資格検定試験は「合格してなんぼ」「合格しなければ意味がない」と考えています。

特に「資格」試験の場合は、合格してその「資格」を得ないことにはなにもできない(正確にはすることを許されない)わけですから、「とっとと合格した方がいい」に決まってます。

ですが、これには、昔からある考えがあります。
「実力がないのに、要領よく勉強して点数のとり方を身につけ、合格する」ことをよくないとする、否定的な考えです。
この考えは、逆に言えば、「実力はあるが、点数のとり方が身についていないため、合格できない」ことを、結果的に肯定することを意味するように思えてなりますん。事実、これまでこのようなことを我々は認め受け入れてきて、それは今もなお同じです。

でも、本当にそうでしょうか?

「実力がないのに、要領よく勉強して点数のとり方を身につけ、合格し」ても、
そんな人は役にたたないし、むしろ害になりかねない、と主張される方がいらっしゃいます。
確かにそうかもしれません。
しかし、「実力はあ」っても、「点数のとり方が身についていない」ために「合格できない」以上、資格は与えられないわけで、資格が与えられない以上、なにもできない(正確にはすることを許されない)わけです
ならば、まずは合格することが大事なのではないでしょうか。合格しないことには何も始まらない。

理想は、「実力がある」上で「合格し」て「資格が与えられ」、「資格を得た結果、あることをすることが許され、それができるようになる」、ことです。

しかし、これはあくまで「理想」でしかありません。

実際には、「要領よく勉強」できず「点数のとり方を身につけ」ることができないためなかなか合格できない、ただいたずらに時がたち、そのための努力が水の泡となる、そういう方々が多いのではないでしょうか。
合格ができない以上、資格は与えられないわけです。そして資格が与えられない以上、なにもできない(正確にはすることを許されない)わけです。そんな方々が多いのが実情ではないか、と私は思います。

ならば、まずは「合格することが最優先」だと、私は考えます。
そして、合格することにより、ようやく「初めてスタートラインに立つ」ことができます。ここからが、本当の意味で、頑張るべき、努力すべきところではないでしょうか。

もちろん、「合格=資格を得た」としても、「十分な実力があるわけではないかもしれない」ことを自覚しないといけません。だから「合格=資格を得た」後、実力が足りない部分があるならば、それを補わなければいけません
「合格=資格を得た」ことで、ようやく「スタートラインにたち」走ることができます。ただし、走りながら、同時に実力が足りない部分を補わっていかないといけません


私は、「合格とは『スタートラインに初めて立つことができる』ことに他ならない」とはこういうことなのではないかと考えます。

まあ、通常、資格を得てその資格を用いて何かをやり続けているならば、ある程度は自然に実力アップを図っているものです。
ですが、だんだん慣れていくにつれ、あるいは年齢を重ねるにつれて、自覚をして取り組まない限り、実力をキープしていくのに精一杯、しまいには実力はだんだんと劣化していきます。

だから、「自己研鑽が必要なのだ」と私は考えます。

ですから、司法試験とか、弁理士試験とか、いや他の資格試験(教員免許や医師免許から自動車運転免許の類まで、あらゆる資格試験)でも同じですが、もっと合格させてもいいのではないか、と私は考えます。
そのかわり、試験合格=資格を得た後は、常に研修制度を充実させて実力アップを図るべくフォローする、逆に何らかの形で判別をして実力が足りなくなり資格を持つに至らない人からは最終的には資格を剥奪する、そういう制度があってもいいと思います
そうでなけれは、合格までにかけた時間と金と労力は、いたずらにムダになります。変に厳しくして合格率を下げてしまうよりも、合格者を増やし、合格者のフォローのため研修制度等の充実を図る方が、資格を持つにふさわしくなくなればその資格をとりあげることの方が、はるかに社会に貢献する、よい影響を与えることになると私は考えます。

もちろん、安直に資格がとりあげられてしまうことがあってはなりません。その点については、しっかり制度設計をしなければならないことは、言うまでもございません。

なお、これは「資格」の場合であって、「検定」については別の話です。「検定」は「ただ実力を測るだけ」にすぎません。こういう「検定」試験こそ、安易に合格させなくてもよく、シビアに合格ラインに達しない=実力がないなら、不合格にしてしまってよいと考えます。別に「検定」試験に合格したからといって、なにかの行為をすることが認められるわけではないのですから、ならば能力をシビアにみてもいいと思います。

「資格」試験も「検定」試験も、実力を測る試験ではありますが、その意味も目的も異なります。

少なくとも、「資格」は「取得してなんぼ」ではないでしょうか。










追記
どういう試験であれ、試験には多かれ少なかれ「ゲーム性」がある、と思います。
ゲームである以上ルールに従わなければそのゲームは成立しませんし、そのルールに従う限りはなんでも認められます受験者側出題者側も。
だから「試験に対しては、所詮はゲームであることの割り切りが必要である」ことも知っておいてください。