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知財管理技能検定1級ブランド専門業務試験合格への道かな?

知財管理技能検定1級ブランド専門業務試験に向けて諸々のこと、その他書籍やニュースなどの知財、その他の法律等に関して、思いついたら書きます

再びキャラクター論

以前に、青木弁理士の新著作、「新しい商標と商標権侵害」について書きました。青木弁理士はこの中で、キャラクター商標について少しふれられています。
その影響というわけでは別にないですが、久々に再びキャラクター論について書いてみようと思います。
キャラクター論、といいますか、「キャラクターを保護するとしたら、どうやって保護することができるでしょうか」、あらためて考えてみます。


突然ですが、質問です(笑)。
例えばなんですけど。
数ヶ月前に連載が始まったにもかかわらず、すごく急激に人気がでた漫画Aがある、とします。
それで、いくつかの企業が、その漫画AのキャラクターA’を商品に使わせてもらおうと考えていました。
それを知った作者B側と出版社C側は、その漫画AとメインキャラクターA’について商標を登録して権利を取得しておいた方がいいと考え、その漫画Aのタイトル及びそのメインキャラクターA’の絵を商標として、いそいで登録申請しましたが、登録はまだできていません。
その後、まだ登録が完了できていないある日、ある企業Dがそのメインキャラクターに酷似した絵を商品Eにのせて販売していました。はたから見たらほとんど同じです。当然作者Bや出版社Cの許諾は得ていません。

という設定です。

さて、このキャラクターは著作権で守られるべきでしょうか、商標権で守られるべきでしょうか?
(他にも意匠権不正競争防止法などでも保護できる部分もあると思います。ただ話がいささか複雑になりそうなので、すみませんがこの質問については、とりあえず話を商標権著作権とだけに限り考えることにします。)


そもそも、私は原則キャラクターそのものは著作物ではない、という考えの持ち主なのです。
ただし、原則、漫画なり、アニメなり、ドラマなり、小説なり、他の主となる著作物があった上で、そのキャラクターについてもその著作物とあわせて著作権が認められる、とするいう立場です。

だから、サンリオ等のキャラ(注)やゆるキャラのような、キャラクターだけのものには、原則そのキャラクターには著作権を認められない、と考えています。
「キャラクターの『その絵(又は着ぐるみ等造形物)』だけで『美術の著作物』として著作権が認められる」という考えがあります。その考えを否定するつもりはありません。確かに一部のものはそうだと思います。ですが、一部のものは美術の著作物という考えを軽く超えてしまっていると私は思います。そのようなものまで美術の著作物として扱っていいのでしょうか?私は疑問です。
もしそうであるならば、私は、例えばキャラクターの絵なら「いつのどの絵ですか?」と質問したいです。絵の著作物と主張するならば、そこまで厳密にならないとだめではないか、とも私は考えます。絵があるからといっても本来キャラクターは概念「だけ」の存在。これに著作権を与えることには非常に違和感を感じます。
だから、別に主たる著作物が必要であるか、あるいはキャラクター単独で絵の著作物を主張するならばいつのどの絵なのかを主張できないとだめではないか、と私は考えます。

屁理屈じゃないか、という方もいるでしょうね。ならば、「概念に著作権を認めることができる理論的根拠」を示してもらいたいものです。あるいは美術の著作物と主張するならば、その明確な理論的根拠を示してもらいたいです。
ミッキーマウス著作権が認められるのは、アニメのキャラクターだからなのです。スヌーピー著作権が認められるのは、漫画のキャラクターだからなのです。
サンリオ等のキャラ(注)やゆるキャラ著作権を認めるとしても、例えばいつのどの著作物の絵が元となるか、と限定できなければ、著作権は認めるべきではないと考えます。その絵を元にして、構図を変えた絵等にも、著作権は認めていいと思いますが、元となるものがない場合は認めない、というのが私の立場です。着ぐるみについても、着ぐるみ自体には著作権を認めます。ただ、キャラクター概念設定は著作権の保護対象ではないと考えます。その意味で、ゆるキャラ著作権は非常に限定的なものだ、と私は考えます。
((注)最近のサンリオキャラで、アニメとか作っているものがあるのは、著作権を意識してもいるからでしょうか(笑)。)


これらのことを踏まえた上で、キャラクターは「まず著作権で」「あくまで限定的範囲において守ることができる」、と言えるでしょう。
ですが、最終的には、商標権が取得できるのであるならば、申請して登録しておくべきでしょう。
と、私は考えます。


そもそも著作権商標権では、いろいろな面が根本的に違うのに、並立して考えること自体が所詮無理があるのかもしれません。

(その2に続きます)