中村氏には違和感感じまくり
以下は「あくまで個人的意見」です。
私は、強い違和感を感じてなりません。
これまでのいきさつがどうであれ、中村氏は、①裁判において「妥協」して裁判で決着をつけず途中で「和解」に応じ、②それを自ら「法制度に対する『敗北』」と言い放ち(この点で私は氏のルサンチマンを激しく感じます)、③その結果、日本を抜け出し、アメリカ国籍を取得しアメリカに住んでいる、つまり「途中で自ら試合を放棄して終わらせて」「自分の意志で勝手にアメリカに行った」のです。それを、いまだに「被害者意識ありあり」で、おそらくインタビューされたからでしょうが、しかしだからと言って、なにを今更海外であるアメリカからこのような発言をするのか、そのことには違和感ありまくりです。
「もはや日本人ではなく、アメリカ人としてアメリカにいる以上、日本のことについてとやかく言うな。余計な口出すな。あなたにはもうその資格はない。もはや部外者、何も言うな。」と、私は氏に言いたいです。
そもそも、今回の職務発明の法制度改正の動き、私は、現行特許法とは、「本質的な部分はなにひとつ変わっていない」と私は考えます。
その本質的な部分とは、「いかに企業に職務発明に関する特許権を帰属させるか」であり(これは現行法制度でも変わりません。ただ、現行法制度では、制度上、本来もともとの発明者である従業員等「個人」に権利をまず与え、その後それを、企業に対し、相当の対価と引き換えに譲渡する、という少し複雑な手順を踏んでいます。それが最初から企業に帰属できるようになる、というのが今回の改正点です。)、同時に「職務発明をした従業員を、いかにケアするか(かなりの相当額の対価を支払う等)」、ということです。つまり職務発明の制度は、この2つをいかに両立させるかということに他ならないのです。これは、もはや法制度上の問題でなく、我々の職務発明に対する考え方はいかにあるべきか、いかに考えを持つべきか、という問題なのだと思います。
たまたまうまくいかず裁判にまで発展したのが、中村氏の青色LED特許事件だったわけです。もちろん、当時の特許法制度は今とはだいぶ違いますので、この裁判自体は当時としては、かなり意義あることだと考えています。中村氏が裁判を起こした当事は、確か職務発明制度はまだ現在ほど確立されていなくて、その意味で裁判をした意義は、当時は本当に大きかったと思います。
しかし、あれからだいぶ経ち、法制度はそれなりに整っています。あとは、それをいかに運用するか、の問題なのです。そして、本質的には、現行法制度でも、現在検討されている法制度でも、実質的に何も変わりはない、ちゃんと発明者のケアはできる、と私は言いたいのです。
このことをおそらくなにも理解していないであろう、おそらくちゃんと考えたことすらないであろう、ただ発明者である自分にとって都合のいいことだけしか主張してこなかったし今もそうである中村氏の発言には、もはや共感できず、むしろそのあまりの無理解ぶりにはあきれて愕然とします。
でもそれだけです。それ以外のことについてはもはやなにひとつ中村氏に共感できませんし、評価できません。
自分のことしか考えず、その後に続く者のことを考えず、(企業を含め)社会全般まわりのことを何も考えず、そして将来の日本のことを考えずに、アメリカに逃げた「部外者」には、もはやもう何も言ってもらいたくないです。
本人にとっては、アメリカに行ってアメリカ人になって、むしろ良かったことでしょう。ただ、個人的には、もう日本には関わってほしくはないですし、帰ってきてほしくもないです。
いっそのこと、この人一度アメリカで、ベンチャーでもいいから自分で会社を立ち上げて経営者になってみればいいんです。そうすれば、いろいろなことが実感でき、理解できるでしょう。