続々パブリシティ権
物のパブリシティ権が認められない理由と考えられている、これがぶつかる問題について考えてみたいと思います。
パブリシティ権を物にも認めたら、他の権利との抵触問題がおきて大変になってしまう、そもそも少なくとも物の場合は既に認められた権利概念で十分対応できるからパブリシティ権という新しい概念で対応する必要はない、という考えのようです。
でも、この考え、どうなのでしょう?
物に限らず人のパブリシティ権の場合でも、既存の権利との抵触はおこりえますから、これが物のパブリシティ権を否定する理由になるのはおかしいと思います。そして、人にせよ物にせよ、パブリシティ権については全てケースバイケースで考えるしかないと考えます。
ある程度判例の蓄積ができるはいいことですので、もっと蓄積されてほしいです。しかしそのために、別の裁判においてこれまでの考えが何も検討されずただ踏襲されてしまう、そのようなことになるのだけはないようにしてほしいです。
ちなみに、海外でも、人のパブリシティ権しか認めないという考えが主流です(海外でも、物にパブリシティ権を認めたケースはあります)。また、もともとコモンローの国でうまれた権利概念、つまり判例上認めれられた権利概念であり、そのせいか成文法で規定されている国はないようです(アメリカでは、成文法で規定されている州はあります)。